歴史を振り返ると、いつの時代も戦争は絶えません。みなさんが教科書を読んでいて、一番印象に残った兵器はなんですか?
日本の教科書だと、原子爆弾が印象深いんじゃないでしょうか。
日本は唯一の被爆国であり、戦争から70年以上たった今でも平和活動などが続いている我が国だからこそ、その悲惨さは他人事ではすみません。
ただ、残酷な兵器というものは必ずしも威力が高いわけではありません。世の中には、人道を外れた兵器がたくさんあります。その一つが地雷です。
名前の通り、地面に埋める爆弾です。その上を人が通ると起爆します。こいつの厄介な所は、戦争が終わっても残り続けることです。だから一般市民が生活していて被害にあうこともあります。いまだに残り続ける戦争の負の遺産です。
・・・ですが、地雷の厄介な所はそれだけではありません!!
皆さんがテレビや教科書で地雷の話を聞いた時、被害者は基本的に手足の一部を失っていませんでしたか?
その状況を見て、疑問に思うことはありませんでしたか?
というのも、兵器って基本的に人を殺すための道具ですよね。なぜ、地雷の被害者で連想される光景は、死者ではなく体が欠損した者なのか。
こんなことを話すべきではないのかもしれません。でも、僕らはこういう残酷なことも知った上で、誤った道に進まないよう考え続けないといけません。
もう一度尋ねます。
なぜ、地雷の被害者の多くは生き残ったのか?正確にいうと、なぜ地雷は人を殺すほどの威力ではないのか?
答えは
あえて殺さないことで、被害者を助けにきた仲間も殺すため
です。
例えば一人が地雷を踏んで足を失います。すると、それを見た仲間が急いで助けにやってきて、肩を貸しながら被害者を運びます。下手したら複数名の仲間が手を貸して必死に被害者を支えますね。
戦場でそんなことをしていたらどうなるか。
当然、敵に狙われて攻撃されます。つまり、被害者も、助けた人も一網打尽にされる。
そういう外道の策略で生まれた兵器なのです。
いかかでしょうか。世の中には、決して威力が高いから残酷とは言い切れないほどに、狡猾で卑劣な兵器があふれています。知恵を間違った方向に使うと、こんな風に残虐な兵器にも応用されるのです。
だからこそ知っておいて欲しい。間違った道もあるんです。知った上で、止めないといけない。親が子どもの目を覆って「見ちゃいけません」なんて馬鹿らしい。
残酷なことも、優しさも。両サイドを理解した上で人としての幅が広がります。
大事なのは、どちらの側に知恵を生かすかです。
それでは。